Works
安田侃は、イタリアと日本を拠点に、約60年間、制作を続けている。国内はもとより世界各地の美術館をはじめとする施設や公園、駅などに彫刻が恒久設置されている。
“安田の彫刻の意味は、その彫刻と対峙し、黙想することによって私たちの心の中に創り出される変化にある” —— フレッド・リヒト(2003、グッゲンハイム美術館 学芸部長)
“安田が明確な意志を持って作品を造っているのは疑いないが、幸せなことにその作品は芸術作品を創ろうという気負いを感じさせることなく自然に創り出されている” —— イサム・ノグチ(1985、彫刻家)
“何をも表象しない作品は、あらゆるものを内に籠めていると言える。彼の作品は、ただ一つの「意味」さえ持たずして、時によっては十万もの刺激を与え得る” —— ブルーノ・ムナーリ(1991、美術家)
“侃の彫刻は、それに接する人々に、彼ら自身の解放され、くつろいだ自我を、知らず知らずのうちに取り返させるのである” —— 大岡信(1991、詩人)
安田侃は、イタリアと日本を拠点に、約60年間、制作を続けている。国内はもとより世界各地の美術館をはじめとする施設や公園、駅などに彫刻が恒久設置されている。
ミラノ「彫刻の道」展をはじめ、聖フランチェスコ大聖堂やトラヤヌス帝の市場といった歴史的建造物や遺構、雄大な自然と彫刻が時空を超えて共鳴し合う、数々の展覧会を開催している。
1992年、故郷にアルテピアッツァ美唄を美唄市との協働により設立。以来、「今を生きる全ての人が、無心に、自由に、思い思いの時間を過ごすための芸術広場」となることを願い、彫刻の設置と広場や施設をより良い場所にするための挑戦が続いている。
“大理石の白色やブロンズの暗色は色を変え、太陽の光に輝き眩しいばかりの光となる” —— ルクレツィア・ウンガロ(2007、インペリアル・フォーラム美術館館長)
“魂は形をもたない。しかし、安田の作り出す「形」は、それを見、それに触れる人に、魂の存在を確信させ、その魂を通じて、あらゆる人の心がつながってゆく” —— 河合隼雄(2006、文化庁長官)
“彫刻が季節を通して自然と語らい、絶えず変容する環境に調和することを教えてくれた” —— ピーター・マレィ(1995、ヨークシャー・スカルプチャー・パーク館長)
“安田の彫刻の意味は、その彫刻と対峙し、黙想することによって私たちの心の中に創り出される変化にある” —— フレッド・リヒト(2003、グッゲンハイム美術館 学芸部長)
“安田侃の造形は、ある状況のなかで時空にかかわる無限を一瞬のうちに現存化させようとする” —— 桑原住雄(1985、美術評論家)
“安田が明確な意志を持って作品を造っているのは疑いないが、幸せなことにその作品は芸術作品を創ろうという気負いを感じさせることなく自然に創り出されている” —— イサム・ノグチ(1985、彫刻家)
“何をも表象しない作品は、あらゆるものを内に籠めていると言える。彼の作品は、ただ一つの「意味」さえ持たずして、時によっては十万もの刺激を与え得る” —— ブルーノ・ムナーリ(1991、美術家)
“侃の彫刻は、それに接する人々に、彼ら自身の解放され、くつろいだ自我を、知らず知らずのうちに取り返させるのである” —— 大岡信(1991、詩人)
“自然と離れるでもなく自然に没入するでもなく、自然と一体融合の中でこの瞑想性が生まれたといえよう” —— 井関正昭(2001、東京都庭園美術館館長)
“風景が芸術に、芸術が風景になる、それも極めて瞑想的に新しい自然の空間をつくり出す瞬間に立ち合うことができる” —— 井関正昭(2011、東京都庭園美術館館長)
“安田侃は、彼がこの地の大理石に刻み込んだ純粋さそのものを通して、我々をその根源に誘っているのです” —— ヴィンチェンツォ・コーリ神父(2006、アッシジ大修道院長)
“安田は純粋な形を作り出し、謙遜と限りない心配りをもって不変の絶対性である彫刻を街に置いた” —— アントニオ・パオルッチ(2001、フィレンツェ・ピストイヤ・プラート地区 芸術文化局 監督官)
“この魅惑的な物語には始まりも終わりもない、通るたびに、見るたびに、新しい物語が見つかっていく” —— ルチャーノ・カプリーレ(2023、美術批評家)
彫刻家。北海道美唄市に生まれ、1970年にイタリアへ渡り、以降、大理石の産地として知られるトスカーナのピエトラサンタにアトリエを構え、大理石とブロンズによる彫刻を制作する。