安田侃の大理石の彫刻は一口にいって極めて瞑想的で静謐である。
これは一体どこからきているのだろうか。
そしてどんな効果をもっているのだろうか。

ある彫刻作品が瞑想的であるというとき、
それはいつも自然と人間とのかかわりを考えなければならないだろう。
彫刻を作るのも、瞑想することができるのもいつも人間であり、
人間はいつも自然と対峙した作品を通して瞑想することができるからである。

この意味でヘンリー・ムーアもイサム・ノグチも瞑想をうながしてくれるのだが、
安田の作品はそれらとはやや違って、
彼らの作品の孤高でより知的で計算された性格に比べ、
むしろ視る人触れる人の心をなごませてくれる不思議な魅力をたたえている。
それもこのあくまでも無欲で無計算の瞑想性のためといっていい。

彼の良き友人でもあったイサム・ノグチは、
「安田が明確な意志をもって作品を作っているのは疑いものないが、
幸せなことに、その作品は芸術作品を作ろうという気負いを感じさせることなく、
自然に創り出されている…」
といったのもこのことを現している。

そして、自然と離れるでもなく自然に没入するでもなく、
自然と一体融合の中でこの瞑想性が生まれたといえよう。

それは単にゆるやかな曲線をもち母性的でおおらかな量塊の作品、
「意心帰」や「天泉」、「天翔」などだけでなく、
幾何学的な形態の「天聖・天モク(※)」や「多光」といった作品でも何ら変わらない。

また、詩人の大岡信は安田の作品について
「石は常に黙って待っている。彫刻家は常に石に呼ばれている。
けれども石の深い声を聞くことのできる彫刻家の数は限られている」
と述べているが、 安田侃は石の深い声を聞くことができるだけでなく、
石をして自然に語らせることのできる稀な彫刻家だと私はいいたい。
いわば大理石に語るだけでなく、
語ることを通して大理石に語らせることのできる彫刻家なのである。

従って、石たちは相手がどんな自然であろうと、
自らの肉声を天と地の間を自由に往復しながら、
無限の時間を通して静かにささやき続けそして生命の尊厳を訴えるのである。

1991年のミラノの都市を背景にした野外彫刻の個展でも、
1995年のヨークシャー公園の美しい自然を背景とした展示あるいは
昨年2000年の古都フィレンツェ市内の展示でも全く異なった背景にかかわらず、
同じ大理石たちの語る声は全く変わらない。

1970年安田侃は25歳の時にイタリアに渡り、
ファッツィーニのもとで学んだのち、
25年以上ずっと大理石の街ピエトラサンタで仕事している。
そこはかつてヘンリー・ムーアやイサム・ノグチがいた。
ファッツィーニから自然のリズム感を学び、
ムーアから自然に対する敬意を、
ノグチの中にある日本の美意識を学びながら、
自己の仕事の内省化への追求をはじめたのである。

さらに安田自身の言葉を聞いてみよう。
「モノの形を作るというのは今まで地球上になかった形を
肉体の動きのままに彫りあげるもので、
その最も原初的な形は卵であることを発見した」。

卵の形は、大理石のもつ素材としての無限性、
実際悠久の時間と共に生まれた大理石の生命と一致して
彼の作品の方法論の序説となっているのは理解しやすい。

生命の始まりを最も無意識に経験し、
人種とかの地域の差を無視して
肉体と精神の成長の初期にあるのは子供であるという認識から、安田は、
自らの作品に最も触れて貰いたいのは子供である、という。
事実、彼の作品ほどどこでも子供たちに親しまれ
嬉々として触れられている作品を知らない。
世界中の子供たちに触れられて大理石に語ってもらい、
人間の生命を感じてもらうのが彼の夢である。

当庭園美術館はかねて庭園に彫刻をおいて庭園を鑑賞しながら
芸術作品を自然の中で身近に眺めたり触れたりする楽しさを
経験していただこうと考えていた。
ちょうど今年2001年の日本におけるイタリア年の機会に、
まず最初にイタリアで長年研鑽を重ねている
安田氏の作品をとりあげご紹介できるのは大変幸いと思っている。

※モクはさんずいに禾

 

風 東京都庭園美術館「安田侃彫刻展」

 東京都庭園美術館「安田侃彫刻展」

 

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