ルーカ・ベアトリーチェ
アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの古典悲劇、そしてアリストファネスの喜劇の地、スパルタ、カルタゴ、アテネ領域において、侃の「俳句彫刻」は文化間の相違を退ける。
それらは素晴らしい立地のタオルミーナ劇場から海を見下ろす絶景に溶け込む。
劇場の内外、サンタ・カテリーナ教会、大聖堂近く、大通り沿い他、彼のモノリスは天から落ちてきたというより、たまたま風によって描かれたかのようだ。
それは数秒間形をなして露と消え去る巨大な石鹸の泡のようでもある。彼はその瞬間を形とする。白大理石やブロンズの内には、比喩的にそれを「透明」とする真の知覚と触覚がある。
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井関正昭
かつて、安田侃の大理石の彫刻は、一口にいって極めて瞑想的な静謐である、と記したことがある。瞑想的な彫刻とは一体何を指すのかを私は詳しく説明しなかったのだが、どんなときでも、ある芸術作品はいつも人間と自然との関わりに帰するのだといいたかったにちがいない。
彫刻をつくるのも、瞑想するのも同じ人間であり、人間はいつも自然と対峙した作品を通じて瞑想することができるからである。
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ルクレツィア・ウンガロ
安田侃の彫刻展のタイトルは非常に示唆的、 詩的、非物質的、挑発的である。合理的には受け容れられない。なぜなら動詞「触れる」は実体のあるものに向けられる行為を示すものであり、時とは非物質である。さて、この物質的な動詞と触れることができない次元との結びつきによって、境界を越えたコミュニケーションという関係が表れる。
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ヴィンチェンツォ・コーリ神父
聖フランチェスコが唱えたのは、あらゆるものの本質、そして生きる喜びとは何かということです。日本の彫刻家、安田侃の作品には、フランチェスコに通じるものを見いだすことができます。
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河合隼雄
日本の彫刻家、安田侃の作品がアッシジの広場に飾られる。これは何と素晴らしいことだろう。この画期的な企画は、二重、三重の大きな意義を持っている。
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井関正昭
安田侃の大理石の彫刻は一口にいって極めて瞑想的で静謐である。これは一体どこからきているのだろうか。そしてどんな効果をもっているのだろうか。
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アントニオ・パオルッチ
「ミニマリズム」と「アニミズム」。安田侃芸術の定義はこの二語につきる。そしてそれらは批評論の鍵である以前に哲学的、宗教的概念なのだ。
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ピーター・マレィ
1987年11月のすがすがしい朝、ジェット・ムンドルフに連れられ、ジョルジョ・アンジェリの石工房に向かっていた。
そこで安田侃によって彫られた大きな白大理石の作品を目の当たりにしたが、その彫刻のスケールと迫力は11月の寒空を支配し、
ノグチが以前述べていたように、まるで氷の中から切り出されたようであった。
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ブルーノ・ムナーリ
かつて伝統的でないある種の作品を前にした人々は、「これは芸術か否か」とか「この意味は?」と問いかけ、答えを求めたものであった。
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イサム・ノグチ
澄みきった冷たい空気を感ずる北国のもの寂しい風景の中で、厳寒の雲にそびえたつようにしてその彫刻は在った。
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