Home > Text > Essay > イサム・ノグチ

Text

写真:天聖・天モク

安田 侃によせて


澄みきった冷たい空気を感ずる北国のもの寂しい風景の中で、厳寒の雲にそびえたつようにしてその彫刻は在った。

それは取りまく自然と全くとけ合っていて、まるで氷塊を削り込んで造られているかのように見えた。

私は、たった一枚の写真でそれを感じ取ったのだ。このような彫刻を創った作家はどんな人間なのだろうか。

自然にとけこんでいるこの彫刻を作品たらしめているものは、地平線と、そのものが内包しているヒューマンなものつまり、作品の像自体が、暗示している自然と人間との相互関係であった。

私は安田侃を識るようになってからも、その背景に絶えず疑問を持っていた。彼は本当に私が思っているような人物なのだろうか?そう考えたとき、北国のもう一つの彼のモニュマンが私の脳裏をかすめた。

その作品と云うのは先端が鳥の嘴のようにとがっている円錐型の太い煙突群なのだ。この煙突群は吹きさらしの平原で侵入者からその地を守っているかのようである。

これは、明らかにオトリとしてミサイルを茶化している。一介の芸術家として、嘲笑以外に何ができるというのか。

勿論、かんじんなのはこんな嘲笑などではなく、芸術そのものである。或いは大切なのはユーモアに芸術としてのクオリティの高さを付与することなのだ。

芸術家を触発させる動機そのものは、作家になんらかの創作意欲を与えるものでありさえすればよいと思う。

然し、アートは結局何かに対する反応の表現であるから、当然 動機も作品要素の一つとして含まれている。ただ、芸術作品を作ろうとすることのみが動機である場合はまた別問題ではあるが。

傑作を創ろうと考えることは大きな過ちにつながって行くだろう。

私はかつて「Kouros」と名付けた作品を古代ギリシャをモチーフに制作したとき、その作品を傑作だとうぬぼれてしまった。その作品と云うのは3メートルの大理石の彫刻で、1946年、近代美術館で展示された。

その折、ある尊敬する人物と昼食を共にしたが、彼は「君は自分自身を超える作品を創造することなどできはしないのだよ、自分が有頂天になるような作品を造っては駄目だ。」と言った。

私は彼が「Kouros」について言っているのがわかった。更に彼は言った「己に抵抗のあるものを、そして創らずにはいられぬものを生み出しなさい。」 彼の言葉で私は芸術家としての野心をどこに向けたらよいのか針路を見失ってしまった。

到達すべき理想の芸術家、或いは忌避すべき芸術家像さえも私にはわからなくなったのだ。

安田が明確な意志を持って作品を造っているのは疑いないが、幸せなことにその作品は芸術作品を創ろうという気負いを感じさせることなく自然に創り出されている。

彼が恵まれているのは、作品本来のすがたを守るため、芸術というものにどこまで固執するべきかをわきまえているところであろう。

この間、私が彼と一緒に仕事をしたイタリアのクエルチェタに在る石屋のジョルジョ親方のアトリエで彼の近作を見たが、それはやはり、安田独自の、芸術を超える追及から創作されていた。

彼自身、そのことに気づいてはいないだろうがそれは実に素晴しいことである。

かつてデュシャンが明言した無意識の行為に達することを安田自身が求めているかどうか、私は知らない。 多くの芸術家と同じく安田にも芸術上の二つの路線がある。一つは芸術の為の芸術であり、もう一つは今まで私が述べてきたことである。

芸術の為の芸術は、作家の独善的価値観から生まれる。作家は、過去の蓄積によって自分の今日があると信じ、それが己の思想や内面性を顕示するものであると錯覚する。

しかし、それは作家が>陥りやすい危険な罠なのだ。大切なのは、意識や人智を超えた内面から生まれる真実を、如何にするどくとらえ、表現できるかである。

絶えず変化し、広がりゆく己の知覚力を認識することが作家の義務なのである。

安田侃は今回、フォーク状をした四角の大理石作品を制作したが、自分が持っている技術も彼自身さえも否定して作品を創り上げることで、このことを表明した。

私が今までここに書いてきたのは、心の底からの言葉である。


イサム・ノグチ

1991


Page Top