Rivista d'Arte 2005年第2号 掲載記事
文:Gian Luigi Corinto

安田侃の彫刻と聖地アッシジの縁(えにし)には必然性がある。安田は1945年、遥か彼方の地、北海道の美唄に生まれる。1969年、東京芸術大学大学院を修了、彼の芸術作品は最も優れた評価を受け、翌1970年にはイタリア政府の奨学金を得て、初めてイタリアの地に渡る。
その後30年以上、良質な大理石の産地として知られるトスカーナ州ピエトラサンタにアトリエを構えるが、むろん日本との絆は続き、むしろ深まってきた。
広島と長崎への原爆投下から60年が経つ。人々は日々の生活をつつがなく送り、人類は生きながらえているものの、原爆の記憶が消し去られることはない。
この世に生まれ、神の創造物の美しさを愛でる幸せを天に感謝し、聖フランチェスコは素朴な賛歌を捧げた:

讃えられよ、主よ、姉妹であり母である大地のために。
色とりどりの花、草木、様々な果物を生み出し滋養を与え
われわれを育てる彼女のために。

今この聖フランチェスコの敬虔なる感謝を理解するに、古来よりの日本の俳人の素朴さが思い起こされる。彼らは、一枚の葉、一片の雪、水底のさざれ石といった小さきものを前にした時、我々に呼び覚まされる感動を、簡潔かつ完璧な句に表現する術を知っていた。
安田侃は、ミニマリズムの手法を用いて物質の魂を捜し求める詩人である。彼の彫刻はさりげなく大地から引き起こされたかに見えるが、同時に本質的で純粋なフォルムを成し、それゆえに普遍的な対話を導く力を有する。聖フランチェスコの地において、安田の作品は平和を願う祈りとなり、天に向けて放たれる。このアッシジの聖フランチェスコ大聖堂前における展覧会は「生きとし生けるものを愛おしむことは、平和につながる」と題された。
安田侃の四つの作品はそれぞれ、地、水、火、風を現し、そのまま聖フランチェスコの賛歌に結びつく。 安田が創り出す簡潔なフォルムは、洗練された空間に入念かつ慎重に設置される。 その作品は厳かな謙虚さを湛えるとともに、まさに聖フランチェスコの祈りのごとく、全能の力と英知を知らしめる標となる。
ここに生まれ出ずる力とは、安田侃の「石」が持つ魂であり、それは素材から発し、彫刻家が精妙に刻み上げた表面を突き抜け、アッシジの空間の中へ力強く解き放たれるものだ。そうしてこの聖なる地こそが作品の存在を厳かにし、人々に黙想と沈黙を促す。
広場におかれた安田侃の彫刻は、直に手で触れ、その上に登ることもでき、そうすることで人々は詩的な本質を肌で感じ取っていく。生命そのもの、また平和に生きるということに等しく、その魂は聖なるものである。彼の作品は聖地アッシジを変容させ、そのモニュメントたる作品の魂によって、純真無垢な絆を編み出し、過去の辛い想い出から精神を解き放してくれる。

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